5年ぶりのスリランカ旅 現在と過去の狭間を行き来する

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 小雨がぱらつく中、成田国際空港から12時間のフライトを終え、ようやくバンダラナイケ国際空港に2時間近く遅れて着陸した。2時間も到着時刻が遅れてしまったのは、スリランカ人の家族が1時間30分程遅れて飛行機に搭乗したからだ。その間、乗員たちは何も知らされず座席に座り、いつ離陸するのだろうと待ちわびていた。

 1時間ほど待機していると、静かな機内にアナウンスが流れた。あと5人、飛行機に乗りますので少々お待ち下さい。「え?」乗客が1時間以上も遅れて待っててくれるのは知らなかった。スリランカ人一家が来るのを狭い機内でじっと待ちわびていた。本来ならば10時間で到着するはずが、こうした理由から12時間ほどかかってしまった。

 バンダラナイケ国際空港からタクシーに乗って予約しているネゴンボのホステルに向かうのだが、すっかりスリランカ・ルピーの相場を忘れていた。先ずは両替所に向かい、とりあえず1000円札をスリランカ・ルピーに両替した。2120ルピーを受け取った。2023年12月31日のレートで、1ルピー約0.45ルピー。

 続いてATMマシーンに向かい、30000ルピーを下ろした。ディスプレーには3万ルピーは円で1万3518円と表示されている。現金を引き出したあとは、タクシーの受付カウンターに移動した。タクシーの運行会社は6社ほど並んでおり、受付カウンターの前で客引きをしている男たちにホテルまでの値段を訊ねた。

「3500ルピー」

「4000ルピー」

「3300ルピー」

「3800ルピー」

「3000ルピー」

 一通り値段を聞き回った後に、一番安い値段を言った男のもとへ戻った。念のためにもう一度値段を確認したが、ホテルまで3000ルピー(1350円)でいいと言ったので、タクシーでホステルまで移動することにした。

 空港の外に出ると、小雨が降っておりムワッとした南国の湿度の高い空気が肌に纏わりつく。直ぐに着ているジャケットを脱ぎバックパックの中へ仕舞うと、トランクにバックパックを入れた。タクシーの助席に座ると、ホテルへ向けて出発。

 タクシーに乗ってすぐさま、運転手は「どこから来たんだ?」と話しかけてくる。これはどこの国でもお馴染みの質問で、例えば南アジアならばインドのデリーでタクシーに乗ったときも、ネパールのカトマンズでタクシーに乗ったときも聞かれる質問だ。私は「日本から」と一言いうと、「私の友達が北海道で働いているんだ」「へーそうなんだ!」と雑談が始まる。一旦話が落ち着くと、次は旅の予定を訪ねてくる。どのくらい滞在するのか。どこに行くのか。「5年前にスリランカに来たことがある。今回はアダムスピークに行くつもりだ」「この時期はシーズン中だから、土日は混み合うよ」後に平日でも列車のチケットが取れずに、アダムスピークに行くのは断念した。運転手と雑談を交わしていくうちに、車はどんどんとホテルの方角へ進んでいく。

 約5年前に数日感だけ滞在したことがあるネゴンボという小さな街。助席に座り当時の記憶を辿っていると、見覚えのある景色がちらほらと目に付きはじめた。ネゴンボのバスターミナル付近を通過すると、雰囲気は以前と変わっていなかった。こうして夜道を走っていると、インドのデリーやカトマンズに比べて、車やバイクのホーンは周辺から聞こえてくるものの、上記した2カ国に比べて鳴らし方は控えめだ。

 夜の闇に耀く色とりどりのネオンを放つ建物を通過して行く。ふと前方を見ると、T字路になっている。歩道の奥には教会が聳えている。私は思わず、この教会はネゴンボ滞在中に何度も通りかかったことがあると運転手に言い、あと3分も走れば右側にホテルがあるからと伝えた。T字路を右折して少し走ると右側にローカル風の食堂があり、今でも営業を続けていることに笑みが溢れた。ネゴンボ滞在中に何度か食事をしたことがある食堂で、食事が運ばれてくるのをぼんやり待っていると、床の上を走り回る大きなネズミを見たことは今でも強く印象に残っている。

 前方では雨で濡れている道路に鮮やかな赤、緑、黄のネオンが反射して輝いている。ネオンに近づいていくと、車内に重低音のダンスミュージックが流れ混んでくる。運転手に停車するように頼むと、タクシーは路上脇で停車した。

 荷物を受け取ると礼を言ってから、道路の反対側へ渡った。ホステルの敷地内に入ると、ガラス張りでロビーの中が丸見えになっている。従業員はぼんやりと退屈そうに椅子に腰をかけている。建物へ向かい歩いている最中に彼と視線が合うと、彼らは待ち侘びたよと言った表情を浮かべたあとに微笑んだ。ガラス張りの扉を開けてもらい中へ入る。予定よりも2時間近く遅れて到着し、真冬から真夏に来たこともあり、身体は思ったよりも疲れていた。

 パスポートを渡して手短にチェックインを済ませると、案内人に従い部屋に向かった。部屋の中に入ると直ぐにバルコニーに出て、ホテルの右側にある建物に目を向けた。Gmapで確認した時は、このホステルは閉鎖したと表示されていた。無理もない。コロナの影響で外国人観光客が途絶え廃業になったと思いこんでいた。だが、私が5年前に滞在したホステルは現在も営業を続けており出入りしている人がおり、相変わらず薄暗い蛍光灯がついている。こうして現地に来なければわからなかったことで、インターネットの情報に頼り過ぎるのはやはり微妙だ。

 薄暗い蛍光灯に照らされた敷地内に目を向けていると、懐かしさが込み上げてくる。あれから5年という月日が流れた。その間にスリランカは様々な問題が起こっていたようで、時折目にする報道を通して気にかけていた。

 さて、翌日はカメラを首からぶら下げて散歩に出かけた。私の記憶では滞在していたホステルの横はフルーツジュース屋があり毎日のようにここでジュースを飲んでいたが、現在はなくなっており別の店舗になっている。

 

 新年のせいか路地では朝から爆竹を鳴らす人がおり、遠くではロケット花火が「ヒュー」と甲高い音を発しながら飛んでいく音が耳に届く。歩いていると「トゥクトゥクに乗らないかー」と客待ちをしている男が日本語で話しかけてくる。異国の地を歩いている時に日本語で話しかけられると、時間を巻き戻しタイムスリップした気分に陥る。今時、日本語で声をかけてくる現地人がいることに驚いた。今では海外旅行に行く東アジア人の代表格といえば中国人で、韓国人観光客も目立つようになった。日本人といえば、円安で海外に行く人も減ってしまい、「日本に滞在する東南アジア人や南アジア人は日本円は安くなった」と口を揃えて言う。

 確かにかつての存在感は失ってしまい、今ではすっかり忘れかけられている。こうして東アジア人を見ると、まずは日本語で話しかけるのは、かつては日本人がこの地を訪れていたことを想起してしまう。そんな環境の中でちょっとした雑談を交わす言葉を覚えていったのだろう。

 

 裏路地を進みビーチを歩く。まだ早朝のせいか、浜辺を歩く人の数はまばらだ。景色の映り代わりが少ないビーチの散歩を切り上げると、宿へと引き返した。

ネゴンボ・フィールド・レコーディング#1